十日町小唄と東京音頭

魚沼地方の十日町には、名産である「明石ちぢみ」のコマーシャルソングとして誕生した「十日町小唄」という民謡があります。「十日町小唄」の作曲者:中山晋平氏は「しゃぼん玉」などの童謡でも知られ、4年後には「東京音頭」の作曲も手がけています。

ところでこの「東京音頭」ですが、中山氏が「十日町小唄」のためにいくつか書いた曲の中にあり、残念ながら採用されなかったほうが「東京音頭」になったとのこと。いうなれば、十日町小唄が生まれる過程で、東京音頭も生まれたと言ったところでしょうか。

十日町織物のコマーシャルソングとして誕生した「十日町小唄」ですが、日本の民謡の中でも音程をとるのが難しいと言われており、毎年7月には「十日町小唄日本一優勝大会」が開かれます。日本全国から民謡自慢の強豪が集まり、十日町小唄日本一を目指し、その歌唱力を競い合います。

♪越後名物 かずかずあれど 明石ちぢみに 雪の肌 着たらはなせぬ味の良さ
♪テモサッテモソジャナイカ テモソジャナイカ
の1番の歌い出しから始まり、雪国十日町の情緒を唄った歌詞がなんと18番まで続きます。

ちなみに「テモサッテモソジャナイカ テモソジャナイカ」という囃子言葉は、「囃子言葉が曲の生命線」と、中山氏に言われた作詞者の永井白眉氏が、悩みに悩んで生まれた言葉なのだとか。このテモサッテモソジャナイカがあまりにも印象的なため、十日町小唄は当初「サッテモ節」と名付けられ、副題が「十日町小唄」だったそうです。

昭和4年の発表当時は、十日町の織物産業が隆盛を誇っていたこともあり、歌手の水谷八重子氏を招いたり、山野楽器店から出版された「越後十日町サッテモ節」の表紙は竹久夢二の美人画が描かれていました。

 

 

 

十日町の織物産業は一時の勢いはないものの、十日町小唄は、十日町の人々だけではなく、全国の民謡の中でも今でも根強い人気を誇り、長きにわたり人々に愛されています。