信濃川と千曲川

魚沼産コシヒカリを育む水源のひとつである信濃川は、総延長367kmに及ぶ日本一の大河で、長野県と新潟県の中央を流れて日本海にそそぎます。
流域面積は新潟県の40%におよび、まさに新潟県民にとっては「母なる川」といっても過言ではありません。

しかしこういう信濃川についての説明は必ずしも正確ではありません。
なぜならば信濃川は長野県を流れている間は千曲川と呼ばれていて、信濃川ではないからです。

越後へ入った千曲川が、なぜ信濃川と呼ばれるのでしょうか。信濃の国から流れてきた川だから信濃川と割り切るのは簡単ですが、それでは、同じ長野県から流れ出ている木曽川や天竜川は上流から河口まで名前が変わらず、千曲川だけが信濃川と名前が変わるのはなぜなのか。気になったので魚沼地方の郷土史を調べてみました。

 

信濃川という名前がいつ頃からつけられたのか、古い時代のことはわかりませんが、地名辞典等は、信濃川という文字がはじめて記録にあらわれるのは500年ほど前だと書かれています。
今から500年ほど前に越後を旅した万里集九という僧侶の旅行記に、十日町から柏崎へ出る時、信濃川を渡ったと書かれていますから、少なくとも500年以前から信濃川と呼ばれていたのは確かなようです。

 

ところで千曲川が信濃川と名前が変わることに興味をもっているのは厳選吟味のスタッフだけではありません。

かなり昔のことになりますが、昭和天皇が新潟県をご巡幸になられた時、当時の県知事に「どうして千曲川が信濃川になるのか」というお尋ねがあったそうです。
その時も明快なお答えができなかったという話です。陛下も一つの川が上流と下流で呼び名が違うのを不思議に思われたのでしょう。

十日町地方では、古い盆踊歌に信濃川のことを「千曲の大川(だいかわ)」と唄っていますし、お年寄りの中には今でも信濃川を千曲川と呼んでいる人もいるようです。

 

郷土史を調べましたが結局結論には至りませんでした。それにしても、信濃川と千曲川がなぜ呼び名が変わるのか。はっきりしないのはとても気になります。どなたかご存知の方、ぜひ教えていただけると嬉しいです。